生きてこそ
この緊急事態に対処するには、山岳スポーツを愛する皆様の他者への思いや り、そして何よりご自身の感染防御に専心され、事態の収束を見るまで山岳スポ ーツ行為を厳に自粛していただきますよう、山岳四団体としてお願いたします。
山岳スポーツに係わるすべての皆様の緊急事態宣言へのご理解とご協力で、 感染症拡大阻止に寄与し、この未曽有の感染危機が一日も早く収束することを 願っております。
自粛期間における解釈というのは多様な考えがあり、実際の行動もさまざまである。
神経質になりすぎて負担がかかることは個々によくないが、自分本位な行為を慎むことは推奨される。「3密でなければいい」というのは感染しない前提のような強気な捉えのように感じる。感染するリスクがあることを十分に理解して(選択して)行動することが求められる。
一方で、匿名性の薄い村社会においては特に「感染」リスクが公衆衛生面だけではなく、人権侵害につながる。社会的抹消を引き起こしてしまうのではないか、と心配になるほどの破壊力がある。そういう悲劇とリスクは起こしたくない。
ビビりすぎもいかがだが、再開への、道筋を慎重に選択していくしかない。
自然体験活動の価値
直接体験の重要性が指摘されて久しいが、現在コロナ渦によって外出制限をしている方や近くに3密を避ける環境がない方にとっては、どのようにこれを実現していくのか、というのは大きな課題と思う。
そして、テレワークはじめオンラインでのコミュニケーションや暮らしが成立しても、感性を磨き、身体性を使うことの満足度を高めることは求められるだろう。
自然体験活動を伝える側となって十数年、2014年に札幌市のあるPTA連合会の研修会で「自然を通じた親子のふれあい」と題して講演を行った時のアンケートに「身近な自然でも(自然とのふれあいが)できるのですね」「大自然など遠くにでかけて行かなくてもいいのですね」「取り組むハードルがさがりました」などと書かれていることに新鮮な驚きがあった。普段は、地方の限られた地域で提供しているので、都会の人たちがどのような生活環境の中で体験活動を意識しているのか、微妙にわからなかったからだ。
ひとつの事例に、公園にもたくさんの自然あそびの要素があることを紹介したり、身近な素材を紹介したが、「特別な何か」を期待されていたら大変申し訳なかったのかもしれない。
「日常的な自然体験は子供の生物多様性保全意識を向上させる ‐身の回りの自然環境が持つ教育的価値を科学的に検証‐」と題した研究結果が、その2年後に論文に公表された。
実際の論文に当たれていないが、「身の回りの自然環境」の評価がいかに低い、ということも言えるのか。
今後、子供の環境保全意識を育む上で、地域の自然環境やそれらを生かした教育が極めて重要な役割を担っています。
最近、思い出した出来事がある。
2012年から表紙の写真に昆虫は使われていません。こんな意見が寄せられたのがきっかけでした。
「娘が昆虫写真が嫌でノートを持てないと言っている」
「授業で使うとき、表紙だと閉じることもできないので困る」こうした声は10年ほど前から寄せられたといいます。それほど多くはなかったそうですが、ショウワノートは昆虫写真を使わないことに決めました。
これは、身近な生き物としての関わりの代表格である「虫」との関わりの薄さがそうさせているのか、推測の域をでないが、空気で虫嫌いが伝播しているような現象も目の当たりにしており、「身近な自然」ですら受け入れられないことも増えているのではないか。
それゆえ、あえて、「大事」という必要があるのか。
ここでは、直接体験でなくても環境教育的な気づきや学びが促進されることを示唆している。自然体験活動とう本質の価値を問うことと思う。
自然体験活動の価値とは何か、社会の動きが転換する中にあって、今一度その価値を考えてみたい。
まずは、書くことからはじめてみる
あずは
2008年から12年が経過。
この間、何をやっていたんだろうか。
2008年はちょうど、子育て支援の事業化を目指すべく、わけもわからない中がむしゃらにやっていたころ、30目前に、ただただ焦っていたことは間違いない。今現在も、やりたらないことしかないので、いろんな焦りはあるが、若いからこそできること、ということに必死だったと思う。
現在…「100万分の1の人材」ということを耳にする機会が増えた
自然体験活動1/100×子育て支援1/100×NPOマネジメント1/100…こういうイメージありましたよね。
なんなら、都会でなく地方で実現することの意義も強く感じていたし…
…なイメージだけど…、しかしながらどれもその時々は一生懸命だけでいずれも中途半端、力のない異端か
なぜかというと3歩目を見極めるためです。こっちに出したりあっちに出したりして、「3歩目は教育がいいのか、介護を中心とした医療がいいのか、住宅がいいのか、あるいは組織の壁を越えた一人ひとりのネットワークがいいのか」と。ネットワークというのは、今はインターネットでGoogleやメルカリが見事にやっていることだと思いますが、とにかくいろいろなところに踏み出しました。
3歩目、なるほど、まさにそういう心境を共感します。
新たな社会活動への転換が余儀なくされている中、考えていきたい。
ネット的なものの本質は、エンド・トゥ・エンドが握手できること。GAFAの存在が大きくなるほど、エンド・トゥ・エンドのユーザーのつながりが強くなることがポストソーシャルメディアの本質だと思います。
エンド・トゥ・エンド、まさにそういう動きがあった中で、これからはさらに加速する時代。中長期計画が形骸化する時代に、考えもシフトしていく。
memo
メッツ
http://www.mhlw.go.jp/shingi/2006/11/s1109-5g.html
cf)GREENGYM
- 作者:浜田 久美子
- 発売日: 2008/10/21
- メディア: 新書